個展

絵の瞬間

 

2015/8/31(mon.) - 9.5(sat.)

12:00 - 19:00( 最終日17 時)

MUSÉE F

東京都 渋谷区 神宮前 アーク・アトリウム B03 4-17-3

 多くの問題をまだクリアできていないはずなのに、瞬間できあがる絵がある。それはその絵がその絵なりに、すべての問題を一瞬だけ超えることができたからだ。その唐突に視界が開けた一瞬を私は一応の絵の完成としている。それは絵に限ったことではない。日常のあらゆる出来事や、歩いたりあくびしたりするような無意識的な動きに至るまで、すべての〈筆跡〉は奇跡のような条件の組み合わせと無限の取捨選択を経た一瞬一瞬の積み重ねだ。

しかしその一瞬はなかなか実態がつかめない。作り出すのか、引き寄せるのか、捕らえるのか、委ねるのか…。普段はつかみどころが無さすぎる。

もちろん自分の力だけでどうにかできるものでもない。しかしその一瞬は必ずどこかに転がっている。 描きながら小さな一瞬を記録しつづけ、大きな一瞬を光らせる。絵画はそれを一番生々しく実感できる何かだと思っている。モチーフは今の私にはただのきっかけにすぎない。(2015.7 小穴 琴恵)

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その絵を描くこと

 小穴さんが大学3年生の時に描いた絵を憶えている。絵の細部まで記憶しているというより“その絵”を憶えているという感じで。けっして強い絵ではなかったが、アヤもケレンも持ち込まず伸びのある筆触で描かれていた。モティフはあったのか?その絵がきっかけで彼女の絵を時々見るようになったのだが、彼女は自分が観た景色をもとに絵を描いている。“その絵”のモティフも風景だったのだろうか、いずれにせよ画家は目の前のモティフ(対象物)と胸のモティフ(描く気)を出会わせて発火させるのだ。彼女の描く気はこの時満々だったのだと思う。彼女が見た対象とすごくいいタイミングで出会い発火し燃焼したのだ。少しいつもの感じと違うかな?くらいの感触で。ともかく、“その絵”が彼女の画家としての最初の狼煙となった。

 翌年に彼女は卒業をかけて絵を描いた。これもモティフは風景だったと彼女から聞いた憶えがある。彼女にしたら初めての大作ではあったが、正直出来はよくなかった。選んだモティフも彼女の描く気も満々だったが途中から対象とする風景の仕組みや構造に気が付き始めて手がその複雑さを徒に追いかける羽目になってしまった。わたしたちが見たものは、そのものの複雑さが漏らさず含まれていてそれを機に今度はその事の仔細の一々を思い出として見続けることになるので強い陰翳として記憶されるのだが、絵に描くことはその陰翳を明るい実態としてもう一度現実の場に蘇生させることだ。その操作は経験による勘と変換の技術がものをいうので当時の彼女にしたら相手がデカかった。だが、見ることの“気づき”とそれを描き得なかった“み”と“怖れ”はこの時彼女の胸に深く刻まれたのではないか。

 それから大学院に進んで途中半年間、ナントというフランス西部の街にある美術大学に留学した。言葉や習慣の違いは最初の半年くらいが一番こたえる。彼女はおそらくその状態で帰国したのだろう。多くは語らなかったが、かの地では身に染みて孤独を体験したようだ。しかしこの間に、絵を描くこと、生きることに彼女は自覚的になっていったと思う。

 修了制作では大きな絵を描いた。全体、暗色が支配する大画面はしかし暗さは微塵もない。彼女の静かな意識の動きと無我夢中に動く身体が同時に進行している証として描きの身振りが大画面の隅々まで行き渡り、その絵は明るい影のように見えた。かつて大学3年生の時に描いた“その絵”はこの修了制作が描かれたことで“あの絵”になった。またこの時に彼女は立体作品も手掛けた。細長く裁断した紐状のカンバス地に彩色したものを何本も束ねモーターで回転させるのだ。とてもゆっくりと回るので色や描きの様子がぎりぎり見て取れる。留学中に思い付いたのだと言っていた。何か動くものを見ていて、動体の識別可能な限界点を体験したのだろうか。見ることにおいて目がすわってきた。もともと勘はいい。外に見たものを絵の中や他所に配する手際も悪くない。しばらくはこれでやっていけるかもしれない。だから言おう。もっと強い苦みと怖れに身を震わせてさらに大きな気づきに気づいてください。小穴琴恵さん、君はまだ地獄の季節の真っただ中です。(O JUN 2015,6,15)

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