BankART Life V 観光

Under35 2017 小穴琴恵 + 衣 真一郎 + 古橋 香 展

2017/10/27(fri.) - 11/5(sun.)

10:00 - 19:00( 最終日17 時)

BankART Studio NYK 1F,Mini Gallery

横浜市中区海岸通 3-9

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 視線によって手を指揮するのは、きわめて間接的だ。たくさんの中継が介入してくる。そのひとつが記憶である。描こうと前にしているものに眼をやるたびに、眼が動き出す線の一本一本が、思い出の瞬間的な要素となり、そういう要素からできあがった思い出から、手は紙のうえで、自らの動きの掟を借りようとする。視覚的な描線が手による描線へと変換されるのだ。

しかし、この操作は、わたしが《思い出の瞬間的な要素》と名づけたものの絶えざる持続に宙吊りになっている。 

――ポール・ヴァレリー[i]

 

小穴は制作を歩くという行為に例えることがある。

小穴は“歩くという行為”のうちに描くことの本質を求める。“歩く”ことは人間にとって最も原初的で根源的な行為のひとつである。歩行による空間的・時間的移動は、感覚そして記憶の軌跡と集積をもたらす。彼女は日々“歩く”なかで、日常をその豊かな感性を持って観察し、取りとめもない風景やさりげない出来事を記憶のうちに留める。しかし彼女はモチーフを前に描くことはない。彼女が描くことの頼りにするものは、自身の記憶と身体性にある。彼女はそれをただキャンバスへと再生するのではなく、自身の内なる世界として再構築し、作品へと昇華させる。自身の思う絵画としてあるべき姿に再構築する。

小穴の作品は、その制作の過程で、ひと筆描かれるたびにモチーフから離れ、変容し、解放されていく。彼女が選択するモチーフは描くきっかけとなりつつも、描かれゆく作品は、もはやかつて彼女が見たものでなくなり、彼女の手によって新たなイメージを付与される。次第にモチーフ固有の要素は強調され、あるいは取り払われ、塗り重ねられて新たな姿をあらわにする。そして、小穴の研ぎ澄まされた色彩感覚と選び抜かれた線が生み出したイメージは、もはやモチーフへと還元されることなく、純粋な絵画として成立するのである。

19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したナビ派フランス人画家モーリス・ドニは、「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である以前に、本質的にある秩序で集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを、思い起こすべきである」[ii]と主張した。「絵画はそれ以上でもなく、それ以下でもない。絵画を絵画として完結させる」という確固たる態度をもってキャンバスに向かう小穴もまた、このドニの平面性に対する主張に連なるものとして位置づけられよう。そしてそのときの彼女の関心は、絵描く行為そのもの、そして作品が誕生する瞬間の、モチーフからの跳躍へと向けられているに違いない。

見ることと描くことのずれ、あるいは眼差しと手の感覚の差異の中にこそ絵画のリアリティが存在する。絵画は視覚的要素のみに恃むものではなく、記憶、身体、そして感性の介入を欠かすことはできない。全身を以って世界と対峙するために、そして精確かつ緻密に感受するために、小穴には“歩く”速度こそがふさわしい。 (井関悠〈いせき・ゆう〉水戸芸術館現代美術センター 学芸員)

                                  

ポール・ヴァレリー「見ることと線で描くこと」『ドガ ダンス デッサン』1890年, 清水徹 訳、筑摩書房、2006年

[1]モーリス・ドニ「新伝統主義の定義」1890年, 関口俊吾訳 『みづゑ』524, 新伝統主義の定義-モーリス・ドニ, 1949年

[i]ポール・ヴァレリー「見ることと線で描くこと」『ドガ ダンス デッサン』1890年, 清水徹 訳、筑摩書房、2006年

[ii]モーリス・ドニ「新伝統主義の定義」1890年, 関口俊吾訳 『みづゑ』524, 新伝統主義の定義-モーリス・ドニ, 1949年

                                        

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